訪問先のアメリカで見た2019年最後の夕日。あの時はまさか2020年がこんな年になるとは思いもしなかった。
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12月中旬に雲南省の奥地で発症してしまった咳の症状。温暖な広西チワン族自治区へと移動した後も結局止まることはなく、そのまま桂林からアメリカへと飛び立つことになった。
桂林からアメリカへ行くのに、まずは経由地の遼寧省瀋陽に飛んだ。それまでは半袖でいるほど暖かかったが、東北部にある瀋陽は極寒で雪が降っていた。そして、乗り換えまで長い時間待つと、とうとうアメリカへ飛んだ。
桂林から瀋陽、瀋陽からアメリカは長い道のりだ。飛行機に乗っている時間も当然長く、その間に可能な限り頑張って咳を堪えているのが大変だった。
アメリカに着いた。場所は西海岸。半袖になるほどではないが、ちょうどいいくらいに暖かい。瀋陽で着込んだ服をまた脱いで軽くなる。振り返ってみると、10月から12月の2ヶ月間は極寒の場所と温暖な場所、寒い場所と普通な場所の行き来がかなり多かったのでそれも体調にひびいただろうと思った。
アメリカに着いてもひどい咳は止まっていなかった。なので、家に泊まらせてくれていた友達の親がビタミンCやドロっとした甘苦い液体(漢方薬?)を飲むように勧めてくれた。すると、1週間もしないうちにそれまでの深くて大きな咳が完璧に治った。もう全く咳は出ないし、体には他に何の問題もなかった。よかったーと思った僕は、それ以降何も気にすることなくアメリカでの時間を楽しんだ。
ところで、12月下旬のこの時、友達の家のテレビでは「中国の武漢で原因不明の肺炎が報告されています」みたいなニュースをやっていたことを覚えている。僕は少し前に訪れていた武漢が奇妙なニュースで報道されていたので少し驚いたが、「ふーん、何なんだろう」くらいで特に気にはしていなかった。ましてや、1月に中国に戻った後、この問題が僕の中国旅に影響するなんて考えてもいなかった。
アメリカでクリスマスと年越しを過ごした僕は、1月7日に再び中国に戻ってきた。また瀋陽で乗り換えがあったが、相変わらず雪が降っていてとても寒かった。そして最終的には、旅を中断した場所・桂林に着いた。桂林に着いたのは夜遅くだったが、僕はすぐにまた旅を再開するため、空港からはけっこう距離のあった陽朔という地域まで一気に行ってしまいたかった。
あと数分で出発してしまうというところだったが、僕は最終バスに飛び乗って陽朔まで到着することができた。そして、今度はバスターミナルからホテルまで重いバックパックを背負いながら30分は歩き、やっとホテルに到着した。
長い道のりでとても疲れたが、アメリカに行って以降は体調が回復していたのでそれは良かった。でも、次の日起きてみるとまた異変が…
桂林の奇峰と漓江。アメリカから桂林に戻った次の日から最高に気持ちいい自然を満喫できると思っていたが、なんと…。
写真のポイントは中国の20元札のモデルになった場所。
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(旅とパンデミック***5, 4月20日)