凍えながらの旅と”熱”の尊さ(***3)

2020年4月18日

 

四川省西部の高山地帯は特に寒かった。でもだからこそ、山・川・湖などのすごい絶景を見ることができたし、チベット族のおもしろい文化に触れることができた。中国の中でも四川省西部は特に美しい場所のひとつ。

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四川省から桂林まで駆け抜けた10月から12月の2ヶ月間はとにかくきつかった。12月下旬に桂林からアメリカに行く飛行機に間に合わせるために急いでいたし、”ミドルキングダムの冒険”プロジェクトも良い発信方法がわからず苦悩していた。

 

ただ、この2ヶ月間で一番きつかったことは、毎日のように凍えていたことだった。中国の冬は寒い。”中国”といってもかなり広いので、-30℃を下回るような北方の極寒地域から20℃を超えるような南方の温暖地域までもちろんかなりの地域差はある。

 

僕が10月から12月の間に旅した地域(四川省、重慶、湖北省、湖南省、貴州省、雲南省、広西チワン族自治区)は、北方の極寒地域ほど気温が低いわけではなかった。ただ、高山地帯や大自然、田舎に行くことが多くかなり寒かった。

 

10月から12月の間に旅したルート。一時帰国していた日本から四川省の成都へと入り、そこから広西チワン族自治区の桂林まで駆け抜けた。

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例えば、四川省の西側にある雄大な高山地帯(チベットのすぐ横にある地域)は、町の海抜自体が3000-4000mもあったので超寒い。11月上旬時点でもう雪が降っていた。四川省の高山地帯を出る前に行った最後の目的地・稲城亜丁という国立公園では、標高約5000mもある山の地点までトレッキングをして、寒さと高山病に苦しんだ(その場所の景色とツーンと冷えて透き通った空気は最高でもあった)。四川省の高山地帯を抜けた後も、大自然や田舎を巡るのは寒かった。

 

冬なので外が寒いのはしょうがない。ただ本当の問題は室内が寒いことだった。中国の北方といわれるような地域(北京とかもっと北の地域のイメージだが実際はもう少し下まで含む?)は外がとにかく寒いので、基本的に室内の暖房設備がしっかりと整っている。なので、室内にさえ入ってしまえばむしろ暖かすぎることもある。僕が通っている北京大学の寮では、眠るのに支障があるくらい冬の集団暖房が暑かった。

 

一方、中国の南方といわれるような地域(上海よりももっと南の地域?)では、室内の暖房設備があまりしっかりと整っていない場所が多い。だから、外で凍えて帰ってきてもまた室内で凍えることになる。安宿にしか泊まれなかった僕の場合、なおさらそういう場所に行くことが多かった。

 

暖房なんてない。あったとしても、ボロいからなのか全然効果がなかった。シャワーは安宿だとぬるま湯しか出なかったり、温かくても水圧が弱すぎることが多く、むしろ浴びた後に凍えた。唯一の救いはベッドに敷いてあった電気マットレスだった。それだけが”熱”を感じることのできるものだったので、室内に帰ってきてからはいつもベッドの上にいた。そして、室内でも厚手の靴下を2枚履き、ダウンコートを着て寝ていた。あと、手製の湯たんぽとしてペットボトルにお湯を入れてずっと握っていた。凍えていると本当に”熱”が尊い。

 

そんな2ヶ月間がクライマックスに近付いてきた12月中旬、僕は雲南省の奥地・シャングリラに到達した。夜の9時あたりに町のはずれでバスを降り、中心部へと歩こうとするとこの町は今までよりももっと寒かった。町も閑散としていて、何か悲しい寒さだった。

 

泊まりたいと思っていたホテルに電話すると、今日はメンテナンス中でお湯が出ないと言われてしまい断念した。そして、よくわからないが他のホテルをテキトーに見つけた。すると!なんと!その宿には暖房機があった!しかも、ここのものはしっかりと機能していて部屋がポカポカになる。ヤッター!と喜びつつベッドで休んでいると、そのまま寝てしまった。心地良かった。でも、それが問題の始まりだった。

 

チベット僧がいる場所は寒い、寒い場所にはチベット僧がいる。そんな風に考えてしまうほど、彼らがいる場所は大抵かなり標高の高い秘境。12月のシャングリラはかなり寒かったのに、彼らは相変わらずチベット僧の服で修行していた。このときはみんなでダンスみたいなことをしていた。

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(旅とパンデミック***3, 4月17日)

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