“深セン起業”に挑戦する日本人のキャリアと中国

2020年2月5日

“Japanese in the Middle Kingdom”という企画で中国各地に住む日本人に現地での経験を聞いて回るのは楽しいが、異国の地で日本人を見つけるのは簡単ではない。

場所によってはそもそも日本人がいるかどうかもわからないし、いたとしても見つける術がないことも多い。

だから、これまではオンラインとオフラインでひたすら探すか知り合いの紹介などに頼った。

例えば、内モンゴルに行ったときは全く日本人の情報がないので、地図アプリで検索して出てきたその町の全ての日本料理屋(10件弱くらい)をひたすら訪ねて日本人を探した。

結果、奇跡的に”日本人を知っている人を知っているという人”にたどり着いたが、その日本人はちょうど一時帰国していて会うことができなかった。

打って変わって深センは最高に簡単だった。日本人が一瞬で見つかった。いやむしろ探してもいない(笑)。

なんとツイッター上で深センについて日々アクティブに発信している日本人がいて、その方を僕はなぜかフォローしていたからだ。しかもテクノロジーやビジネス、起業などに詳しい若い方のようだ。

それらは深センでは絶対に見逃せないキーワードなのでまさに最高のインタビュー相手だった。

そして、とうとう深センへと行く日程が決まりインタビューできるか聞いてみると即快諾してくれた。しかも”家に泊まっていい”という。

これはおもしろくなりそうだ、ということで僕はそれまでプカプカ浮かんで遊んでいた海南島の美しいビーチに別れを告げ、ギラッギラのコンクリートジャングル深センへと突入した。

 

↑今回インタビューを受けてくれた深セン在住の吉川真人さん(2017年@チベット)

吉川さんは京都出身の29歳で、中国留学も経験し同志社大学を卒業した後、ベトナムと日本で働き、2019年から深センに移住しました。
中国滞在歴は北京留学と深センでの生活などを合わせて計2年弱です。
今では”深セン起業”に取り組むとともに、ツイッターなどで深センや中国情報を活発に発信しています。

 

インタビューでは吉川さんのこれまでのバックグラウンドやキャリア、中国での経験、深セン事情や生活について聞いていきます。

インタビュー内容

▶︎日本の大学時代/中国留学時代

▶︎キャリア(@ベトナム・日本・中国)

▶︎中国に対するイメージの変化/中国情報発信をするワケ

▶︎深センのおもしろいところ/深セン旅行

▶︎編集後記

 

日本の大学時代/中国留学経験

Kazuki : まず仕事を始める前のバックグラウンドについて教えてください。

吉川さん(以下、敬称略):私は京都出身で、大学は同志社大学文学部英文学科に行きました。大学では「あしなが育英会」の活動に参加していて、奨学金を集めるために駅前での街頭募金などをしていました。

大学3年になると、あしなが育英会に海外研修という名目で海外へと行くチャンスがありました。行き先候補としてあったのはインドネシア、ウガンダ、ベトナム、中国、インドの5カ国。英文学科にいた私の友人には欧米へと留学に行く人が多かったんですが、それは経済的に厳しかったので、最終的には比較的安そうな中国へと留学に行くことにしました。

中国留学へ行くことになると、「なんであんなところに行くの?」とか「頭おかしいの?」と周りの人に言われましたけどね。賛同してくれる人は母親くらいでした。

それでも私は中国へと行くことに決め、北京にある中国青年政治学院に2011年3月から2012年2月まで約1年間の留学をしました。

北京留学から同志社大学に戻ってくると、学内では中国留学経験者とともに日本語と中国語でラングエージ・エクスチェンジをするクラブを立ち上げて活動し、学外では日中学生会議に参加していました。

 

↑吉川さんが留学していた北京の夜景(@CCTVタワー/北京)

 

Kazuki : 周りの人が反対する中それでも留学することを決めた中国に対してはどんなイメージを持っていたんですか?

また、僕もいま北京に留学していますが、日本人留学生の多くは北京大学や北京語言大学などにいて、中国青年政治学院にいる人なんて会ったことがないです(笑)。いったいどんな人たちがいて、吉川さんはどんな経験をしましたか?

吉川:私が留学に行く前に中国に対して持っていた印象は良いものと悪いもので半々くらいでした。

小学校の時、三国志を読んだり三國無双というゲームで遊んだりしていたので、中国に対する偏見はほぼありませんでした。むしろ、三国志に関する場所へとすごく旅行してみたかったです。まあ、うるさい人とかゴミを捨てる人がいるという印象もありましたが、中国が嫌いというわけではありませんでした。

大学に入った時、大学の男子寮でとても優秀な青島出身の中国人の李さんと出会ったことも印象的でした。

だから、周りの人に中国留学を反対されても、こんな人がいる国なら実際に行ってみたいと思いました。

中国青年政治学院は共産党幹部の子供が多く通う幹部養成校のような場所でした。でも別に卒業後の進路は政府系組織だけというわけではなく、民間企業に行く人も多いようでした。

当時、私は中国語がまだうまくできなかったので、中国語を勉強していました。だから、現地の学生と一緒に授業を受けることはありませんでしたが、それでも活発に彼らと交流して友達になりました。

中国青年政治学院に通う中国人学生がどのような人なのかという点は複雑で難しいです。というのも、中国人学生の発言や考え方などを聞いてもそれが必ずしも本音なのかわからないからです。

例えばある日、私は中国青年政治学院の中国人の友人に対して少し意地悪な話題を振ったことがあります。私は「中国とチベットは仲が悪いですね」と言いました。すると彼は、「中国とダライ・ラマの仲が悪いだけで中国とチベットは大丈夫」と答えました。

このように、彼らの答えることは共産党が言っていることとほとんど同じことが多かったです。

一方、日本帰国後に参加した日中学生会議では、日中の学生によるグループディスカッション内で共産党とはまた違った視点で議論する中国の学生がいました。しかし、いざグループディスカッションが終わり、話し合ったことを全体で発表するという時になると、その中国の学生は自分が議論したことを公に発表することを嫌がりました。

なので、中国の人が本当に考えていることを理解することは簡単ではないですね。

 

Kazuki:2011年3月から中国留学をしたとなると、2010年9月の尖閣諸島沖漁船衝突事件などもあり日中関係があまり良くなかったかと想像しますが、実際に中国では自分が日本人だからという理由で経験した出来事などはありましたか?

吉川:北京留学の時といまの深センでの生活を含めても、私は別に自分が日本人だからみたいな理由で嫌な経験をしたことはありません。

強いて挙げるならば、私が北京留学を始めて5日後に発生した東日本大震災の時、私は横断幕に色々な人のメッセージを集めて日本に送る活動を学校でしていましたが、それは当時のフェイスブックのようなオンライン・プラットフォーム上で批判されました。でも、擁護派もいましたし、オフラインの人レベルではそのような批判はありませんでした。

そして、最終的には多くの共産党幹部の子供達もメッセージを書いてくれ、日本に横断幕を送ることができました。

 

↑発展し続ける大都市を見て育つ彼らは何を考えるのか?(@蓮花山公園/深セン)

 

キャリア(@ベトナム・日本・深セン)

Kazuki:中国留学からの帰国後に大学を卒業し、ベトナムでの新卒就職や日本での仕事を経て今いる深センに移り住んだということですが、この間の経緯やキャリアの経験を教えてください。

吉川:まず、大学卒業後の進路についてですが、私も元々は普通に日本で就活をしていました。しかし、希望していた総合商社には全て落ちてしまいました。

これに加え、英文学科を卒業したにも関わらず英語ができなかったことへの危機感や海外は中国韓国台湾しか行ったことがなかった自分の視野の狭さを感じていました。

そこで、日中学生会議の時に「チャイナプラスワン」としてベトナムの名前がよく話題に上がっていたので、中国の次は絶対にベトナムが来る!と確信し、ベトナムに行ってみようと思いました。

ベトナムでは人材紹介をする日本とベトナムの合弁会社に就職しました。

創業10ヶ月くらいの会社だったのであまりトレーニングを受けることもなく、法人営業とデジタルマーケティング両方を担当する傍ら、外部企業の海外就職メディアでライターもしていて、当時は東南アジアの人気ライターでした。最初ハノイで4ヶ月ほど働き、その後はホーチミンで2年半働きました。

その後、東京にあった支社へと転勤し、初めて日本で仕事をすることになりました。ただ、東京でもベトナムと同じ仕事をする日々だったので、そろそろ営業成績1位をとったら転職しようと決めていました。そして営業成績1位をとると会社をやめ、東京のIT企業へと転職しました。

しかし、そのIT企業はパワハラ・セクハラ・モラハラなどハラハラ問題だらけだったので、ダラダラするのは良くないと1ヶ月半でやめました。以前の日ベト合弁会社での経験から学びました(笑)。

そして、将来的には起業すると決めていたこともあり、起業資金を貯めるためにも東京で個人事業主を始めることになりました。スマートホーム用のIoTデバイスのオンラインマーケティングや人材紹介会社のアドバイザー、インフルエンサービジネス会社のサポート、日本企業のベトナムビジネスサポート、深センビジネスツアーなどいろいろなことを1年間くらいやりました。

2019年5月には登記を完了し、7月にとうとう今の拠点である深センへと移り住んできました。

 

↑深センは鄧小平によって1978年から始まった改革開放政策で中国初の経済特区となった。鄧小平像は深セン中心部にある見晴らしのいい丘の頂上に建てられてあり、鄧小平はいつも深センの発展を見守っている。(@蓮花山公園/深セン)

 

Kazuki:中国留学経験があったものの、それ以降はベトナムや東京でしばらく働いていたにも関わらず、なぜ深センに移り住むことになったんですか?

吉川:個人事業主をしていた時、私には二つのできていないことがあると気が付きました。一つは海外と関わる仕事をしたいとずっと思っていたのに東京にいたこと。もう一つは、20代で起業をすると言っていたのにまだできていなかったことです。

そんな中、”アプリ内アプリ”と言われるミニプログラムを作ろうと思っていた私は、それをするためには中国で会社を持つ必要があると聞き、深センへと行くことを決断しました(実は会社を持たなくてもミニプログラムを作れるということは後に判明)。

しかし、深センで知り合った複数の投資家からはマーケットが大きくないので今はやらないほうがいいと出鼻をくじかれてしまいました。

ただ、私の語学力やこれまでのネットワーク、行動力を認めたのか、中国のファンドから何度も一緒に事業をしようと誘われるようになりました。その結果、今は国の投資家などと一緒に新しいビジネスを始めるために動いています。

まだ詳しくは言えないですが、中国にはまだ浸透していないリスーステックの事業を始める予定です。

また、今回Kazukiさんも宿泊に来てくれた「リバ邸深セン」というXiomiでスマートホーム化したゲストハウス兼シェアハウスかつ現地情報の発信やイベントを開催するコミュニティを運営しています。深センのことがあまりわからずに来る若い方が多いので、彼らが気軽に立ち寄れたり、深センに挑戦したい方々をサポートできるような場作りをしたいと思っています。

ちなみに、もうすぐ深センビジネスの情報を発信するメディアも立ち上げますよ!

 

↑ちょうど“リバ邸深セン”での滞在が重なった日本からの方々+吉川さんの友人たちとも合流しみんなで広東料理へ。起業家の吉川さんをはじめ、エンジニアやビジネスマンなど”深センらしいメンツ”が揃っていた(笑)。

 

中国に対するイメージの変化/中国情報発信をするワケ

Kazuki:以前の北京留学と今の深センでの生活を経て、吉川さんの中国に対する印象には何か変化などはありましたか?

吉川:北京へと留学に行く前の私の中国に対する印象は良いものと悪いものが半々くらいでした。しかし、北京留学をしてからは7-8割くらいの割合でポジティブになり、今では9割くらいポジティブです。

まず、留学先では死に物狂いで勉強している中国人を見たことで、いい意味で危機感を持つようになりました。それと同時に、偏見などから中国人を見下している日本人が多いことには疑問を覚えました。

「このままじゃ日本人は中国人とどうやって”競争”できるんだ」と思った一方、今は中国のユダヤ人と呼ばれているビジネスに非常に優れた潮州出身の人々と関わる中で、「真っ向勝負で勝てないならどうやって”協力”していくべきなのか」と考えるようになりました。私はこのことを戦略的互恵関係の構築と呼んでいます。

他にも社会システムは日本と全然違っていておもしろいですし、ビジネスでもすごいと思うことはたくさんあります。

中国は社会主義で日本は資本主義と言いますが、実際の体感としては中国の方が資本主義で日本の方が社会主義なんじゃないかと感じることもあります。

あと、中国旅行もとてもおもしろいので、私ももっと中国を旅行して世界遺産も制覇したいとは思っています(笑)。

 

Kazuki:中国に関する情報を活発に発信しているのはなぜですか?

吉川:それは「中国は一括りに表せない」ということを体感したからです。

正直、多くの日本人はメディアに脳を侵されていると感じました。というのも、中国に関するメディアの報道内容と私が現地で実際に経験したことにかなりのギャップがあったからです。

例えば、中国人は日本人を嫌いだと思われていますが、実際は日本人にもすごくフレンドリーで良い人たちが多いです。また、メディアの報道を見ていると中国は遅れているという印象を持ちがちですが、実際はかなり発展もしています。確かにマナーが悪い人はまだ多いですが、そのほとんどは年齢が高い人たちで、今の若い人たちのマナーはどんどん向上しています。

だから、私は「一言で表せない中国」の実態をもっと伝えたいと思いました。日本の報道は中国と中国人を一概にまとめすぎているので、もっといろいろな側面も見るべきだと思います。

 

↑人口3万人とも言われる貧しい漁村だった約40年前から今では人口1250万人を超える中国4大都市の一つにまで成り上がった深セン。川の対岸には香港が見えるという立地も重要。ちなみに今では、出入国審査は除くと、高速鉄道に乗ってたった14分で深センと香港の中心部を移動できてしまう。(@平安金融中心/深セン)

 

深センのおもしろいところ/深セン旅行

Kazuki:じゃあ最後に、深センLOVEの吉川さんから”深センの実態”について教えてください!

吉川:深センはとにかく若い移民の町です。平均年齢が32歳なのでとても活気があり、住民の9割が移民ということで誰でも受け入れるオープンで自由な土壌があります。実際、政府や企業が補助金や税制優遇などの各種支援を通じて国内外から優秀な人材を引っ張ってきています。

また起業も有名で、いまでは深センだけで21社のユニコーン企業があります。投資家や起業家、デザイナー、エンジニアが全て揃っていることが深センを起業のしやすい環境にしています。

また、深センや広州をはじめとした広東省は、中国の国家政策である一帯一路や粤港澳大湾区構想に大きく関わっています。特に、広東省と香港、マカオをつなげて世界最大級のベイエリアをつくるという大湾区構想は、まだまだ発展する深センの将来像を示唆しています。

でも、観光として行くような場所はそこまではないです(笑)。1978年の改革開放以降に新しくできた町・深センはやはりビジネスとしておもしろい場所なので。

ただ、世界最大の電子街「華強北」や、ロボットによる本の自動仕分けや深センのこれまでの発展の歴史とこれからの発展計画などに関する展示が見られる「宝安図書館」、かつてマレーシア華僑が移り住んで発展させたエリア「OCT華僑城」なんかはおもしろいのでオススメです!

深センに来ることがあったらぜひ行ってみてください。あと、その際にはぜひリバ邸深センにも遊びに来てください!

 

↑開発が続く街中で遊ぶ子供たちと広場を清掃するロボット。若さとテクノロジーが深センの強み。

 

編集後記

吉川さんが精力的に発信しているように、深センは急激に発展しているとても興味深い大都市です。

僕は2017年に深セン出身の友達と初めて深センに行きましたが、6年ぶりに以前住んでいたエリアに戻った彼女は、あまりの変貌ぶりに「地元がわからない」と言っていました。結果、地元を案内してくれるはずだった友達は、最初の内しばらくは道に迷っていました(笑)。

そのくらい深センの発展はすさまじいです。そして、今でさえなお至る所で高層ビルの建築が進むなど発展を続けています。

また、「中国は一括りに表せない」という吉川さんの言葉もとても印象的です。

僕自身中国へと留学し、今は全国各地を旅する中で、中国という国家の深みや中国人という人々の多様性を目の当たりにしてきました。

そして、「中国は〜だ」とか「中国人って〜だよね」とかいう風に安易に一般化して語ることが非常に難しいと感じました(もちろんどの国家や国民もなかなか一般化できませんが、中国は特に難しい気がします)。

感覚としては、この国家はこういう感じ(例:豊か/貧しい)だとか、ここの国民はこういう感じ(例:マナーが良い/悪い)だと考えるのに必要な”平均値”がブレブレな気がします。

中国や中国人は理解すれば理解するほどわからなくなるのかもしれません。

そんな「無限の多様性がある中国」だからこそ、僕は長い間全国を旅していても全然飽きることなくすごく楽しんでいます。日々いろいろな新発見が尽きません。

最後に深セン旅行について。

僕からは深センの福田区にある高層ビル群をライトアップするショーもオススメします(毎週金土日の20:00と21:30にあるはずですが日時変更の可能性有り)。超大規模で圧倒されます。蓮花山公園の頂上にある鄧小平像の前が一番きれいに見渡せるベストスポットです。

 

あと、吉川さんのアドバイスをもとに深セン観光をして、動画もつくったのでぜひそちらもチェックしてみてください!

確かに深センは普通の旅行をする場所ではないかもしれませんが、”社会科見学旅”はめちゃくちゃおもしろいのですごくオススメです!

「社会科見学旅が最高におもしろい深セン」

 

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