2020年1月23日、武漢が封鎖された。
これが、世界の歴史を大きく変えるパンデミックが始まった瞬間だった。
当時、中国国内ではやっと”新型コロナウイルスという感染症”に対する危機感が高まっては来ていたが、それでも1100万人もの人口をかかえる大都市を急に物理的に封鎖するということは衝撃的だった。信じようが信じまいが、そのとき中国が公式に発表していた死者数は数十人しかいなかった。
このような中で”武漢封鎖”という究極の決定がされたことは、いかにこのウイルスと武漢の状況がヤバイかを武漢の人たちに強く感じさせただろう。ヤバイ!と気づかされたときにはもう全く身動きがとれず、”パンデミックの震源地”に無期限で閉じ込められたとなれば、その恐怖感や不安は大変なものだっただろう。
2020年1月23日、僕はマカオにいた。翌日からの様々な春節イベントを見てみたかったからだ。でも、武漢封鎖のニュースが入ると、各地のイベントは急遽多くが中止に追い込まれ、僕はマカオをあきらめ1月24日に広州へと移動した。
1月25日、中国は異様な雰囲気の中、春節を迎えた。僕は、それまでハードな旅をしてきてもいたので、ひとまずその日は一日中宿にこもって”正月らしく”ダラダラしていた。このときスマホを見ていると、ニュースもSNSもWechatも武漢に関する話であふれていた。武漢が2日前に封鎖され、深刻な状況や不安な情報がどんどん国内外に広く伝わってくるようになったからだ。
ニュースをいっぱい読んで武漢の状況が少しずつ理解できてくると、「武漢ヤバそうだな・・・」と心配になった(でも、このときは新型コロナウイルスが世界中で大流行して莫大な被害を出すことになるとまでは深刻に考えていなかった)。特に、そのとき流れていたニュース映像などでは、武漢が暗い雰囲気につつまれた怖い場所のように報道されていた。
僕はこのような報道とそこからもたらされる暗くてモノクロな印象の武漢の姿に違和感を感じていた。僕がたった2ヶ月前に実際に旅で訪れていた武漢の印象は、もっとカラフルで美しかったからだ。
町の中心を流れる雄大な長江、
多くの人が行き交う夜市と繁華街、
度肝を抜かれる規模で行われる高層ビル群のLEDライトアップ、
歴史的なキャンパスとハイテクな食堂が印象的だった武漢大学、
上海を思わせる歴史的な西洋建築群、
唐の李白が『黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る』という有名な詩を詠んだ黄鶴楼、
フレンドリーに話しかけてきたおじいちゃん。
僕が現地で見た武漢とテレビで報道されている武漢の間には大きなギャップがあった。深刻な緊急事態が起きている中では、確かに武漢の暗い報道のされ方はしょうがなかったかもしれない。でも、僕としては武漢の普段の姿、もっとおもしろい部分もみんなに知ってほしかった。ましてや、「武漢」というみんなが聞いたことはあったとしても全く想像もつかない場所との初対面が、新型コロナウイルス・パンデミック・ヤバイという印象だけで形付けられるのも残念だ。
スマホを見ていてもうひとつ気になったのは、武漢に対する心無い言葉などを見ることが多かったことだ。特にTwitterやYouTubeなどでは、武漢や武漢の人に対する排他的・差別的言動が目にとまった(実は、中国国内でも武漢人や湖北省の人に対する厳しい動きがあったりした)。報道は、プロ・アマ問わずセンセーショナルなものが多かった。また、Wechatでは(大抵のものは悪気がないとは思うが)武漢を”いじる”画像、英語で言うところのmemeがいっぱい拡散していた。
Wechatグループに流れてきた風刺画像”meme”。「今あなたの目に映る武漢人」=武漢人の間で感染が広まっている/武漢人は危険だというイメージがあることから、武漢人とゾンビをかけている。
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Wechatグループに流れてきた風刺画像”meme”。「ウハンノブイリ」=武漢は中国語でWuhan(ウハン)と発音され、このポスターは”汚染がひどい”ということで武漢とチェルノブイリをかけている。Netflixの「チェルノブイリ」というドラマのポスターのもじり。チェルノブイリはウクライナ(旧ソ連)にある、1986年に深刻な原発事故が起きた場所のこと。
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怖いものに対して拒絶したり厳しい視線が向けられることはある意味自然というか、とても人間的だと感じるし、武漢の状況を有名ドラマの画像とコラージュしておもしろく風刺したいという気持ちもわからなくない。でも、そこには苦しんでいる多くの人たちがいる。いろいろな議論はあるが、基本的に武漢にいる人たちも今回の問題の被害者だ。そう考えると、武漢と武漢の人たちを取り巻く状況はとても不憫に感じた。
1月26日、だから僕は、”武漢がどんな場所なのかを伝える動画”をつくることにした。幸い、僕は武漢に行った時にいろいろな場所で動画や写真を撮りためていた。本当は、「楽しいおもしろい武漢旅行♪」みたいな方向性で動画をつくるためのものだったが、この瞬間こそがまさに自分の持っている映像を出す一番重要なタイミングだと思った。
そうと決めると、僕はかなり急いで動画制作にとりかかった。武漢が世界中の話題を独占している中、もたもたしていると他の人が同じような動画を出してしまうと思ったからだ。1日中ホテルに引きこもって使い慣れない編集ソフトをいじっていると、なんとか夜には動画を完成させることができた。そして、僕は急いでYouTubeやTwitter、Instagram、Facebookなど様々なプラットフォームに動画をアップした。時間はすでに夜中に近く、多くの人に見てもらうためには普通動画を公開するべき時間ではなかった。
でも、投稿した直後から、特にTwitterでリツイートなどをしてくれる人がいたのでほっとした。次の日、朝起きてスマホを開いてみるともっと多くの人が動画を観て拡散してくれていた。そして、多くのコメントも寄せられていた。
「武漢がこんな場所だなんて知らなかった」
「武漢ってきれいだね」
「よし、コロナが終わったら武漢に行ってみよう」
・・・
武漢の普段の姿が伝えられた結果届いたこれらのコメントはとても嬉しかった。
また、あまり想像していなかったが、中国人からの反響も特に大きかった。
「感動した」
「涙が出てきた」
「ありがとう!」
・・・
中国では、僕が投稿に使ったプラットフォームは基本的に全てネット規制で使えない。それにも関わらず、中国人のみんなは中国のプラットフォームへの転載などで僕の動画を知った後、どうにかしてTwitterなどを開き、どうにかして僕のアカウントも見つけて、わざわざ「ありがとう」を伝えにきた。そういう中国人がかなり多かったからけっこう驚いた。まあ、でも、よかったね。
武漢の動画はその後も1週間近くにわたって様々なプラットフォームで拡散され、結果的に多くの人に観てもらうことができた。そして、SNSで大体拡散しきると、今度はメディアなどからの取材がいろいろと入ってくるようになった。
武漢に関する残念な報道と色々な人の残念な言動がきっかけとなってつくった武漢の動画。正直、つくるときはこのタイミングにこの内容で燃え上がらないか心配したが、つくってみて本当によかった。
#武漢加油 #中国加油
(→1月ならこの2つだけ書きたいところだが、その後ウイルスは世界中に拡散して大惨事になってしまったので、「#みんな頑張ろう!!」)
次の記事では、もう少し詳しく武漢の動画を出した後の反響について書く。
ちなみに、結局その後も武漢に関する似たようなテイストの動画は全然出てこなかった(みんな武漢なんて行ってないのか・・)。
(旅とパンデミック***15, 8月9日)