花市の横にあったお寺・大仏寺(大佛寺)。夜のライトアップが特にきれい。
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新型コロナウイルスにより春節イベントがなくなったマカオを諦めた僕は、よくわからないままとりあえず急いで広州に来た。花の都とも称される中国南方の大都市・広州には春節恒例の”花市”があると聞いていたからだ。
でも、16時過ぎに広州のホテルにチェックインしてネットを開くと、今年の花市は予定よりも8時間も切り上げて18時頃で終了するという。せっかく広州まで流れてきたが、ここにも新型コロナウイルスの影響がすぐそこまで来ていた。18時までもう全然時間がなかったので、僕は急いで花市の会場に向かった。
花市の会場にレンタルバイクで向かっているとき、外を行き交う人や車はかなり少なく、多くのお店も閉まっていた。地方から出稼ぎに来た人たちが帰省してしまった大都市の春節とはこんな感じなのかと思った。こんなに閑散とした街に、まだどんなイベントがあるのかと心配になった。でも、僕は寒空の下とりあえず全速力で自転車をこいだ。
17時前には花市の会場付近に着いた。すると、それまでの静けさがまるで嘘みたい!
かなり広い範囲の道路が十字形に歩行者天国にされていて、そこに大量の出店が並び、多くの人が行き交っていた。花市というからてっきり僕は花だけを売っているおとなしいイベントかと思っていたが、実際は花だけではなく春節に関連した飾りや様々な商品などを売っている活気ある夏祭りのようだった。
ほとんどの人がマスクをしていたが(写真で見るとしていない人もまだいるな…)、縁日のバルーンや風車を持った家族がいて、楽しそうに談笑する友達がいて、年の瀬に大声をあげながら商売をする人たちがいた。
僕は初めて広州の花市に来たので例年との比較はわからない。でも、コロナウイルスに対する心配をしなきゃいけない以外、ほとんど普通に見えた。
僕は会場を隅から隅まで歩き回って色々なお店を見た。確かに、花市というだけあってきれいなものから変わったものまですごく沢山の花を見ることができて楽しかった。また、ハルビン・ビールがつくるいい感じの春節限定バッグがあったので、なんとなく買ってみたりもした。
ただ、そんな楽しい時間もつかの間。みんなが花市を楽しんでいる中、急に出店や歩行者天国のライトが消えた。
「あっ!!」
急遽変更された終了時間の18時になった瞬間だった。
電気が消えた後も買い物を続けている人はいたし、花屋などは急いで商品を売り切ろうと大声をあげていた。路上にはマスクを売っている人もいた(当時、マスクはどこでも品切れの状況だった)。
18時になると照明が全て消された。
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路上でマスクを売りさばく人たち。
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ただ、電気が消えると多くのお店は片付け始めていた。花市に来ていた人たちも徐々に家路についていた。僕もしばらく様子を見てから帰ろうとすると、十字形をしたイベント会場の出入り口で警察と市民がもめている。
よく見てみると、さっきまでは何もなかった出入り口が全て警察の設置したバリケードで封鎖されている。花市が終了した18時以降は、会場から人を出すだけで、新たに入る人を全て止めているようだった。どうやら、「18時終了」とはこういうことだったらしい。
18時に花市が終了されて以降、警察が会場の出入り口をバリケードで封鎖した。一度花市を出てしまうともう内側に戻ることはできなかった。また、花市にこの時間から来た人やバリケードの内側に用事がある人もみんな止められて困っていた。
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結局、会場からはどんどん人がいなくなり、春節恒例の花市は終了した。
本当であれば”年越し花火”などを見たりして夜遅くまで楽しみたかったが、この状況ではもう何もないので僕はホテルに帰った。そして、“中国版の紅白歌合戦”ともいわれる春節恒例番組・春節晩会(春晩)を観ながらのんびりと年越しをすることにした。
春晩では、音楽や漫談など様々なパフォーマンスを観ることができておもしろかった。
でも特に印象的だったのは、5人くらいの代表的な演者さん(?) が「武漢加油(武漢がんばれ)」と励ますようなメッセージを読み上げる演出があったことだった。
確かに武漢での”謎の病気”はしばらく報道されていたが、武漢が封鎖されたのは1月23日で、春晩は1月24日。いつからこの演出を用意したのかはわからないが、どこか印象的だった。
僕はなんとか花市と春晩を楽しむことができた。
でも、春節のイベントが終了して以降、社会のムードや人々の生活は完璧に「(ながーーーい)コロナモード」に入った。
初めて観た春節晩会。次の日からの生活は一変した。
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(旅とパンデミック***12, 5月9日)