“コロナ生活”の最初に考えたこと(***13)

2020年5月12日

 

旅の横で徐々に深刻化しつつあった新型コロナウイルスの問題。とうとう旅を中断しなければならなくなった。先が見えない。困った。(写真は貴州省凱里にあるミャオ族世界最大の集落・西江苗寨にて)

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新型コロナウイルスによって春節イベントが様々な影響を受ける中、僕は滑り込みセーフで”最後のイベント”広州の花市を楽しむことができた。この日(1月24日)以来、中国の社会情勢は完璧に「コロナモード」に入り、もう大勢の人が集まる公共のイベントを見ることはなくなった。イベントはもちろんだが、単純に生活の中で多くの人が密集している場面を見ることも長い間なくなった。

 

中国全ての省と全ての世界遺産を旅しようとしていた僕は、この状況では物理的にも安全的にも動き回ることができないので、ひとまず広州で待機することにした。この段階では、僕はコロナウイルスの問題が収まっていなくても2−3週間後にはまたなんとか旅を再開することができるだろうと気軽に考えていた。

 

だから、ちょうどこのとき修士論文の研究や執筆もしなければならなかった僕にとっては、むしろいい春節休み兼研究期間にできそうだくらいに考えていた。そもそも、僕は春節の間は混雑を避けるためにどこかの都市で1週間くらいは動かないつもりでいた。

 

でも、僕の気楽な考えはそれから起きたこととは全くかけ離れていた。

 

中国の感染症といえば僕が思い付いたのは2002-2003年に流行したSARSという病気。その頃、僕はまだ小さかったのでほとんど何も覚えていないが、なぜかSARSというとても怖くて危険な感染症があったという印象があった。

 

今回、初めて新型コロナウイルスという新しい感染症について聞いたとき、僕はそれはSARS以下あるいはSARS程度になるのかなと考えていた。僕の中ではSARSが”かなりレベルの高い危険な感染症”として印象付けられていたからだった。

 

でも、そのSARSに感染した人は約30カ国で8000人程度、死者数は800-900人程度とされている。一方、春節の段階では、新型コロナウイルスは”武漢の問題”で、公式発表の死者数は数十人程度だった。

 

新型コロナウイルスの問題が中国国内や外国に拡散することはもちろん想像できた。でもまさか、こんなにも一瞬で中国国内がSARSを大幅に超える大惨事になり、ましてやそれが全世界で数百万人の感染者と数十万人の犠牲者を出すことになるとは思いもしなかった。

 

新型コロナウイルスは、今では紛れもない“世紀の大惨事”、“グローバルイシュー”、“歴史の変わり目”(インパクトがすごすぎでなんとでも呼べる…)になってしまった。

 

新型コロナウイルスの問題がこんな大惨事になってしまった中、中国にずっと居残り問題の成り行きを観察してきた僕は何を考え、どんな経験をしてきたのか。次の話からは、完璧な「コロナ生活」が始まった春節(1月25日)以降の経験について書いていきたい。

 

なんとしても中国制覇を成し遂げるため、僕はいつでも旅を再開できる状態で広州に待機した。物理的に達成が不可能になるまでは、何があろうとも中国制覇をあきらめるという選択肢は絶対にあり得なかった。花の都・広州の春節はどこか物悲しかった。

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ちなみに、中国で留学や仕事をしていた外国人の多くは、1月末から2月初めの時点で急遽国外避難した。1月末は春節休みだったため、そもそも旅行や帰省の予定が入っていて国外に出ていた人も多かった。

 

ただ、ほとんどの人も僕と同様に、最初の段階ではここまで問題が大きくなり長引くとは想定していなかった。ほとんどの人は数週間から1ヶ月程度だけ国外に出て、そしたらまたすぐ中国に戻ってきて元の生活をするつもりでいた。だから、荷物の大部分は中国の住んでいる場所に置いたまま、身軽に避難した人が多かった。

 

でも、その後に中国だけではなく全世界の状況が最悪になると、ほとんどの人はもう中国に戻ってくることができなくなった。だから、生活感のある部屋に回収することのできない荷物だけが置き去りにされている。

 

それでも時は流れ、季節は変わり、次の予定が迫ってくる。

最初はなんとなく抱いていた希望も、全部消えていった。

 

僕の計画はズタズタだ。

あんなにもきれいに計画した中国制覇も、パンデミックという”超超超裏技”の乱入でこんなにも完璧に潰された。

 

みんなの人生もメチャクチャ。

 

あー、困った。(コロナ生活初期はよくこうつぶやいていた)

 

中国全ての省と全ての世界遺産に行くため、ベストシーズンや学校の予定など様々なことを考慮して決めた旅のルート。広州の後にもまだまだ最高の冒険があるはずだった。

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上の旅のルートで行きたいと思っていた都市のリスト。時間的に全て行けるわけではなかったが、どこも魅力的な場所だったので一刻も早く旅を再開して少しでも長く旅をしたかった。

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(旅とパンデミック***13, 5月12日)

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